着れる服から着たい服へ【潜在意識ダイエット】

「世話を焼きすぎる」それはおせっかいです

マスター認定コーチ あの原山

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あなたのことを思ってやってあげてるになんで?と思ってしまうあなたへ

世話を焼く、面倒を見る、という行為はとてもいいことなのですが
これが行きすぎると「過干渉」ということになり、ちょっと注意が必要です。

とは言うものの
その限度は明確にわかるわけではないので、自分自身では気がつかないことが多いようです。
過干渉であっても、その行為をしている自分自身は満足しているのでわかりづらいのです。

「満足ならば、問題ないでしょ」という意見もあるでしょう。
確かにそうなのですが、行きすぎは自分、そして相手にも目に見えないダメージを与えます。

世話を焼いたり、面倒を見すぎることの弊害は
自分のことはさておき、相手のことばかりを気にかけてしまう状況が続く場合です。

ややもすれば、自分がこれだけやってあげているということを相手から認められないと
自分自身の存在が証明されないと思うようになります。

エスカレートしてしまうと
自己を犠牲にしてまで相手から好かれたい、認められたいということになり
相手を支配してしまうことにもなりかねません。

例えば、世話を焼きすぎる人は
その行為をあなたのためにしてあげている、と思っているので
相手がそれに応えてくれなかったり、感謝の気持ちを表してくれないと
相手を非難するようになります。

次第に、「私がこれだけのことをしているのに、あの人はひどい人だわ」と
まったく見当違いの怒りへと発展していくのです。

そしてまた、自分の価値を承認してくれる別の相手を見つけようとします。

わかりやすいのが家族関係です。
お母さんと子どもの場合は、子どもの世話を焼くのは当たり前で
ある程度は干渉しすぎることはあるでしょう。
この場合も
お母さんが度を越すような過干渉であれば、子どもは親に依存してしまいます。
そこに親の支配と、頼る子どもとの関係ができあがり
いつまでも自立できない子どもになってしまいます。
子どもの面倒を見ることだけが、自分の存在価値を証明することになってしまっているのです。

本来は、自分自身の価値は相手が決めることではなく、自分で認めることです。

そういう自分であれば、相手の存在も一個人として認められるので、依存状態にはなりません。

何度も言いますが、世話を焼く、面倒を見ることはとてもいいことであり
お互いに思いやりのある関係が築ければ、とてもいいことなのです。

ただ、自分自身が相手のためにと世話を焼きすぎて
それを認めてもらえなければひどい人だと思ってしまったり
過干渉で相手を操作するようになっているようであれば要注意です。

相手のことばかりに目を向けるのではなく
自分自身にも目を向けて、日々の生活で自分が楽しめることを他に見つけるといいでしょう。

そうなれば、相手に対してもすべてが依存状態にならず
お互いが自立したいい関係となり、例えば子どもの才能も伸ばせるのではないでしょうか。

誰でも相手から認められたいという欲求はありますが
それだけが自分を証明するものになってしまうと行きすぎです。

自分の価値は自分で認めるものです。

自分に自信が生まれれば、周りは自然と認めてくれるようになりますよ。

「過干渉」になり過ぎるならば、矛先を変えて自分自身を見つめよう。

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