「また会える」と思わないことが、優しさになる日もある

「亭主が会社に行くとき、帰ってくると思うな」
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こんにちは。

今日は「一期一会」という言葉について、改めて考えてみたいと思います。

この言葉、皆さんもよくご存じですよね。

「一生に一度の出会い」だからこそ、その瞬間を大切に。

茶道の心得として広まった言葉ですが、年齢を重ねるごとに、その重みがどんどん深くなっていくのを感じます。

というのも、身近な人との別れが少しずつ現実のものとして訪れるからです。

親しい友人、信頼していた先輩、長く一緒に働いてきた同僚…。

ついこの前まで笑っていたのに、ある日突然、もう二度と会えなくなる。

そんな経験を通して、「当たり前に会える」なんて思い込みが、いかに儚いかを知っていきます。

たとえば、今日あなたと私が出会ったとします。

偶然か、必然か、どこかで道が交わり、数時間なにげなく言葉を交わす。

でもその後、また会える保証なんて、どこにもない。

私たちは、そういう不確かな世界に生きています。

それでもどこかで、「きっとまた会える」と、無意識に思ってしまうんですよね。

瀬戸内寂聴さんは、講演でこんな言葉を語っていたそうです。

亭主が会社に行くとき、帰ってくると思うな

ドキッとしますよね。

でも、これは脅しでも恐怖でもなく、愛のある問いかけなんです。

「どうせまた帰ってくる」と思うから、「行ってらっしゃい」の言葉も、どこかぞんざいになる。

「また会える」と思うから、「今この瞬間」の大切さに目が向かなくなる。

けれど、「もう会えないかもしれない」と思えば、言葉一つ、表情一つが、丁寧になるんですよね。

挨拶にも、笑顔にも、心がこもるようになる。

まさにこれが、一期一会という言葉の本質なのだと思います。

仕事での出会いも、家族との毎朝も、ほんの短い立ち話も。

すべてが「もう二度と同じ形では訪れない時間」です。

そう思うと、今日誰と会ったか、どんな言葉を交わしたか――その一つひとつが、かけがえのないものに感じられてくるのではないでしょうか。

もちろん、毎日ずっとそんなふうに思って生きるのは、ちょっとしんどい。

だけど、たまには立ち止まって、「これは最後の時間かもしれない」と意識してみる。

それだけで、人との関わり方が少し変わる気がします。

誰かと接する時間を、もっと丁寧に。

その人の存在を、もっと大切に。

そんな心持ちで日々を過ごしていきたいですね。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

あなたの今日という一日が、誰かにとって、忘れられない出会いになりますように。

あの原山
あの原山

 
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