今日のひとこと vol.499
できない事の多くがやった事のない事
やった事がないというだけで
限界を決めるのは早すぎるのです
やったことのないことに対しては
過去の失敗などや経験がないというりゆうで、どうしても躊躇してしまう。
また、行動をしていたとしても、まだやったことのないレベルのことだと
それも躊躇してしまう。
仕事の依頼があった時
それまでにやったことのない案件であっても
「やったことがないので、できません」という人と
「やらせてもらいます」という人がいた場合
「やったことがないので、できません」という人のところには
2度と仕事の依頼は来ないかもしれない。
なぜなら
その人がどこまでできるかを依頼する側が把握しているわけでなく
これならできる。これはできないかもしれない。そんなことをいちいち考え
「この案件ならできますか」なんて、お伺いしたくもない。
それならば
「やらせてもらいます」という人に依頼するほうが楽である。
たとえそれで、うまくいかなかっても、間に合わなかっても
その途中経過を報告しておけば、なんとかなるものです。
また本当にできない案件であっても
今ならFacebookといういいものがあるのだから
できそうな人に応援や依頼をすればいい。
私はいつも、Facebook友達5000人いるのだから
5000種類の仕事の案件をこなせると思っています。
失敗を恐れる部分で1つ
「私にはできないかもしれない、やっても失敗をして迷惑になるかもしれない」
だから、やらない選択をする。という人もいる。
「失敗をするかもしれない」
なんで、失敗したらダメなんですか?
失敗をすることで
怒られるから? 恥ずかしいから? 信用されなくなるから?
失敗は失敗で終わらせるから失敗になり、怒られ信用がなくなるのです。
私、よく遅刻します。かなりします。
なんならFacebookのプロフィールにも「必ず遅刻します」と書いてます。
理由は、アポの場合だと、最短で行けるルート、最短で行ける時間を計算し
そのギリギリまで、仕事をしているから。
でも仕事に集中していると時間の感覚、曜日の感覚がまったくなくなり
気付いたときには、最短時間でも間に合わない時間になっている。
ただここで
あわてて行ったところで、どうせ遅刻なんです。
その遅刻することがわかった時、どうするか、なのです。
めっちゃ急いで約束の場所に行き「すいません」と言うと怒られます。
「社会人として時間を守れないとはどういうことか」って
でも私、怒られません。何なら逆に待っているほうが恐縮してます。
それは
「遅れること」と「理由」「着く時間」を連絡するから。
そして
それが大幅に遅れるほうがいい場合もあるのです。
5分10分の遅刻だと待っておかないといけない。
でも30分遅れるとなると、別のことができる。
喫茶店を探してお茶をしたり仕事をしたり、本屋に行って本を見たり
別のことができるのが30分ぐらい。
人が遅刻をして「怒る」のは
「遅刻」をしたことで起こっている人はあまりいない。
怒っている原因は「待たされていること」
いつくるかわからないのに「待たされている」から怒るのです。
相手が「遅れてくること」ではなく
自分が「待たされていること」に怒るのです。
遅刻することがわかった時、遅刻するかもしれない時に
「何分遅れて、〇〇時〇〇分に着きます」と連絡をすれば
「待たされる」の感覚から「〇〇時〇〇分まで何しよ」になるのです。
伝えた「〇〇時〇〇分」よりも、5分でも早く行くと
「意外と早く着いたね」とか
「前の仕事、私のために早く切り上げたんじゃないの」となるものです。
1つ付け加えると、遅れることも伝えずに
遅刻した後に「〇〇が原因で遅れたのです」などと
自分の責任ではないようなことを言うと、100%信用はなくなりますからね。
「電車が遅れて」というのも自分の責任ではないという言い方
それを言うと「1本早く乗ってればよかっただけだろ」となります。
せめて「1つ前の打ち合わせが」のほうが
忙しい中で時間を作ってくれていると思われますよ。
失敗するかもしれない、失敗して迷惑かけるかもしれない、と思うなら
失敗しても迷惑がかからないように考えればいいだけ
相手を怒らせないように考えればいいだけ
そのためには、失敗しそうになる前、迷惑がかかりそうになる前に
相手と話したり、聞いたり、教えてもらったりすればいいのです。
失敗した後では遅いのです。
失敗するかもしれない、失敗して迷惑かけるかもしれない、と思っても
とりあえずやればいいのです。やりながら考えればいいのです。